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広報誌『学』Vol.24

今の若い世代に、期待したいこと

河端

本当にお忙しいところ、お時間を頂戴し、ありがとうございます。また過日は、弊社の創立50周年の記念式典にもお越しいただき、重ねて御礼申し上げます。

いえ、今日はよろしくお願いいたします。

河端

本日は、日本の将来を見据え、現代を生きる若い世代にどのような期待を抱かれているのかについてお聞きしつつ、関連する教育の現状などについてもご意見をお聞きできればと考えています。まずは今の若い世代には、どのような印象をお持ちですか。

これは良い意味でも悪い意味でも、みんな何となくまとまっているというのか、全員が横一線というのか、突き抜けた人が少ない印象があります。

河端

なるほど、分かるような気がします。

みんな持って生まれた資質も環境も違うわけですから、そういうものをしっかり出して、やはり個性ある人材が増えてくることが望ましいと思います。それが自分の意志で生きようとする意欲にもつながるのではないでしょうか。

河端

我々も生徒や保護者の方と、将来について話す機会がありますが、子どもに聞くと「お母さんと相談して決めます」と言い、お母さんに聞くと「子どもの意志を尊重します」と返ってきます。つまりお互いにもたれかかっているケースが非常に多いのです。「私はこれをやりたい」あるいは「子どもにあれをやらせたい」といった自分の意志があまり見られないと感じます。

私が生まれ育ったのは秋田県の湯沢市といって非常に雪深い地域でした。今の時代は保護者の方が大切にお子さんを育てられていますが、私が小さい頃は、田舎でもあり、いろんなことを自分でやらなければならない環境でした。

河端

暖衣飽食と言いますが、今は暖かな着るものも食べるものも山ほどあふれている時代ですから。昔は水道をひねっても、なかなかお湯が出てきませんでした。

水道からお湯どころか、私は小学校高学年頃までは、家の前の堰というのか、小さな川で顔を洗っていました。昭和23年生まれですから、戦後間もない頃、高度経済成長の少し前の時代ですね。

河端

私は昭和26年、京都の生まれです。さすがに川で顔を洗った記憶はありませんが、子どもの頃は川もきれいだったので、泳いだり、魚を釣ったりして、よく遊んでいました。

魚釣りは私も昔から大好きでして、時間があればよく出かけていました。最近はなかなかタイミングがなくて。またゆっくり釣りを楽しみたいですね。

河端

私は今でも時間が空いたときに神奈川の葉山辺りに船を出して釣りをしています。以前は仲間と賑やかに釣りを楽しんだものですが、最近は一緒に行ってくれる人も少なくなり、専ら一人でのんびりしています。

それはいいですね。ぜひご一緒したいものです。

河端

大歓迎です。ぜひ今度よろしくお願いします。

僅か548票の差が選挙では天国か地獄に

河端

受験生や保護者にとって、受験本番はまさに大きな勝負ですが、政治家の方々にとっては、選挙こそが天下分け目の大勝負なのでしょうね。

おっしゃる通りです。当選か落選では天国と地獄ほど違います。どんな選挙でも決して楽な選挙はなく、常に全力を出し切って、結果を待つのみです。 そういう意味では、確かに受験と通じるものがあるかもしれません。

河端

総理大臣も務められたほどですから、選挙に強いイメージがありますが。

いえいえ。私の選挙区は横浜ですが、先程も言ったように秋田県出身なものですから、生まれ育った地元ではないというハンデは大きく、選挙ではいろいろ苦労もしてきました。

河端

確かに昔から地盤、看板、カバンと言います。そういうものがまったくない状況での選挙ですから、そのご苦労はお察しします。

菅、河端 河端

忘れもしませんが、以前548票差で勝たせていただいたことがあります。確か私にとって5回目の選挙でした。

河端

たった548票差ですか。

はい。政権交代となったときの自民党にとっては苦しい選挙でした。全国の政令指定都市で勝った人はほとんどいなかったはずです。私は僅差で勝たせていただいたわけですが、この「548」という数字は絶対に忘れてはいけないと思い、当時の車のナンバーに使うなど、常日頃から肝に銘じて活動したことを覚えています。

河端

横浜の選挙区の有権者は、やはり若い方々が多いのですか。

私の選挙区は横浜で言えば、横浜駅周辺やみなとみらい21の辺りです。新しく開発されたイメージが強いですが、昔ながらの方々も多く住んでいらっしゃいます。ある意味では浮動票が多い地域と言えそうです。

河端

そうした浮動票が多い地域では、住民の方々にどのようにアピールするのですか。

それはもうコツコツと地道に訴え続けるしかありません。私も市会議員の頃はもちろんですが、衆議院議員になってからも、時間がある限り、朝と夕方は街頭に立っていました。目の前を素通りする人が圧倒的に多いのですが、やはり外に出ていると街の雰囲気や空気感というものを、いろいろと感じ取ることができます。さすがに官房長官に就任してからは難しくなりましたが、地道な活動の継続が選挙の基本です。

選挙運動の原点は正月の箱根駅伝

河端

過去を振り返ると、やはりその548票差のときが、最も厳しい選挙だったのですか。

いえ、厳しいという意味では、一番最初の市会議員の選挙が大変でした。まわりに知っている人がほとんどいない状況での選挙でしたから。

河端

なるほど。

もし地元であれば、小学校や中学校の同級生もいますが、横浜には友人も血縁もほとんどいませんでした。例えば衆議院選挙の場合は、所属する政党の政策が重要視される部分もありますが、地方議員の選挙では地域の代表という意識も強く、友人をはじめ地元のつながりはかなり重要になります。

河端

確かにそうですね。

しかも当時は3人の子どもたちが5歳、3歳、6カ月でしたし、さらに自民党の公認も簡単にはもらえませんでした。よくこの状況で立候補を決断したなと自分でも思います。

河端

そんな厳しい状況の中で、戦略的にはどんなことをされたのですか。

とにかく私を知っている人が誰もいないので、少しでも多くの人に菅義偉という名前を知ってもらう必要があります。そこで考えたのが、正月の箱根駅伝の時に、ちょうど横浜の選挙区の中心をランナーたちが走るエリアがあり、沿道に応援に出てきた住民の方々に名刺を配ることでした。「今度市会議員に出る菅です」と言って、2〜3キロの沿道を行ったり来たりして名刺を配りまくりました。当時を思い出すと今でも涙ぐみそうになりますが、あれが私の選挙運動の原点かもしれません。

河端

菅義偉前総理にとっての「選挙運動の原点」ですか。良いお話をお聞きしました。

ただ精力的に名刺を配るだけで当選できるほど選挙は甘くありません。相手の候補者からは「よそ者だ」と攻撃されるわけですから。

河端

それは痛いところをついてきますね。

ただ私はこういう性格ですから、あえて選挙ポスターに「私は秋田県出身です」と大きく書いたのです。

河端

ほう。それはすごい。

横浜には地方から出てきている人も多くいますから、ポスターを見て、せめて秋田県出身の人は応援してくれるだろうという狙いです。すると続いて東北の方々が応援してくださり、最終的には「俺は九州だけど頑張れ!」と言ってもらえることもありました。そんな地方出身の方々の代表という形で、多くの方が私を応援してくださったのです。「ピンチをチャンスに」という言葉がありますが、まさにそんな感じでした。つらかったですが、良い思い出です。でも最初にそうした大変な思いをして、選挙の厳しさを身をもって体験できたことが、その後の政治活動にも確実に生きていると思います。

必死に学ぶことが尊いとされる世の中へ

河端

せっかくの機会ですので、日本の教育の現状について、ぜひお聞きいただきたいことがあるのですが。

教育現場の最前線からの声ですね。ぜひ聞かせてください。

河端

ありがとうございます。最もお伝えしたいのは、子どもたちが、思い切り勉強に打ち込める環境の大切さについてです。例えば昔は学校でも、先生が漢字や計算など、いわゆる「基本を徹底的にやれ」と、ビシッと言っていました。しかし、今の学校教育は多様化が進んだこともあるのか、基本的なことが、あまり重要視されなくなった気がします。むしろ子どもたちの中には、「勉強を一生懸命やるのはダサい」という風潮さえ見受けられます。

なるほど。

河端

勉強に全力で取り組むとの意味で言えば、弊社では1年を通じて季節ごとに「勉強合宿」を行っています。夏休みやゴールデンウィークなどにも実施しますが、毎年一番人気になるのが12月30日から1月2日までの「正月合宿」です。清里と富士山に複数の合宿場を自前で持っているのですが、合宿への参加希望者が多くて全員を受け入れられない状況が続いていました。そこで先日、新しく富士山の麓に1万4000坪の研修施設を購入し、「富士山合宿場3号館」として早速稼働が始まっています。

それだけの施設を自前で持っていることもすごいですが、その規模の施設でも受け入れが足りないことがさらにすごい。それだけ「集中して勉強に打ち込みたい」との需要や要望があるわけですね。

河端

合宿による成績アップの効果は絶大です。何が効果的かと言えば、携帯電話、ゲーム、テレビ、我々は「三毒」と呼んでいますが、これらを完全に取り上げてしまうのです。すると子どもたちは一瞬何をしていいかわからなくなり、仕方なく勉強に取り組み始めます。本気でやってみると勉強の面白さや楽しさなど、いろいろなことに気づくのです。

その「三毒」というのはいいですね。

河端

この3つがなければ子どもはみんな成績が上がると思いますよ。

では、私が携帯電話の料金を値下げしたのは逆効果でしたかね笑

河端

いえいえ笑。それは素晴らしいご決断でした。みんな助かっています。

要するに、子どもたちには、もっと勉強に集中できる環境が必要であり、環境さえ整えば、全力で勉強することにも向き合えるわけですね。

河端

そう思います。それは本来なら学校がやるべきことだと思うのですが、学校がしっかりできていない分、我々がそれらを代わりにやっているとの自負があります。

では教育の中身についてお聞きしますが、最近はグローバル教育や情報教育など、比較的新しい学びが注目されています。政府としても積極的に推進している分野ではありますが、その辺りはどのように感じていますか。

河端

あくまで私の持論ですが、グローバル教育と言いますか、英語教育に関しては現状のままでも、最低限の基礎固めには十分だと考えています。グローバル化とは言っても、まだまだ日本人にとって本当の意味で英語が必要になる機会はそんなに多くないのではないでしょうか。逆に本当に必要な人は、英語の基礎はできているので独学でも語学を身につけられています。

転勤などで海外での生活を余儀なくされた人も、向こうで1年も生活すれば英語を話せるようになると言いますね。現地で身につくことも多くあるでしょうから。

河端

はい。もちろん国際化への対応は必要ですし、英会話を学ぶことも良いと思います。ただそれよりも漢字であったり、計算であったり、日本人として身につけるべき基本的な学びが、少し疎かになっていることを危惧しているのです。

現代社会は競争の時代であり、その競争相手も例えばアメリカであったり、中国であったりするため、グローバルに目を向けざるを得ない状況ではあります。しかし、確かに基本的なことを身につけていなければ、柔軟に応用することもできません。全力で、必死になって基本的な能力を身につける教育の重要性については共感できます。

子どもたちの未来は教育の在り方が左右する

これからの日本を支えるのは、今の若い世代の人々に違いありません。そして、子どもたちが社会で活躍できる人材として成長するためには、何よりも教育の力が必要です。

河端

私がこうして50年も教育畑で頑張って来られたのも、子どもたちの成長を支援することの喜びや尊さを感じているからです。

実は今までの社会保障を見てみると、その7割が高齢者向けの制度でした。これではダメだということで、消費税を10%に引き上げたときに、当時の安倍総理が、子ども、若者に向けた制度を充実させようと、例えば幼児教育・保育の無償化や大学、専門学校の授業料の免除など、約2兆円規模の対策を行ったのです。若い世代の将来を見据えた改革が必要であるとの思いから実施したことでした。日本の将来を支える若い世代に目を向けることは、国としても当然のことであり、基本的なことだと思います。

河端

こうした国からの支援は、子どもを持つご家庭にとって、本当にありがたいことです。ただ一方で、まだまだ教育にお金がかかり過ぎている現実もあります。特に私立の中学、高校、大学にお子様を通わせるご家庭は、毎年100万円以上の学費等を納めています。これは中学でも大学でも、あまり差はありません。

私立高校に関しても、世帯の年収制限こそありますが、国から就学支援金を用意しています。例えば東京都などは独自の補助金制度とも組み合わせて、授業料の実質無償化を実現しています。

河端

この制度で助かっているご家庭は多いと思います。公立だけでなく私立も進路の選択肢として考えられるわけですから。

教育の視点から考えれば私立であれ、公立であれ、学校同士が活性化するのはいいことですね。競うことで全体的な価値も上がりますから。

河端

そうした状況の中で、我々が推進しているのが、都立中および都立高に進んだうえで、国公立大学を目指す「エコな道」です。

「エコな道」ですか。

河端

都立日比谷高校も一時期は東大に1名しか合格者を出せなかったことがありましたが、昨年は65名の合格者を輩出しました。また中高一貫の都立中に関しても東大をはじめ、名だたる難関大学に多くの合格者を出している実績があります。都立であればお金がかかりませんし、それでいて名門私立校同等の進学実績を備えていれば、保護者の方は喜ばれるに違いありません。

都立中の躍進、都立高の復権は話題になっていますね。

河端

都立中や都立高の成果は、全国的にみても顕著ですが、まだまだ教育に格差が生じている地域は数多くあります。「お金がなければ良い教育が受けられない」という現実を何とかしなければ、日本の未来は厳しいと思うのです。

どんな家庭に生まれても最低限の教育を受けられるようにすることは政治の役割です。そして何より、教育には子どもたちの将来、そして日本の未来がかかっていますから。

河端

教育現場において、政治家の方々に頼るべき部分はお任せして、我々は学習塾という立場でできること、やるべきことをこれからも続けていく所存です。そうした対策が、子どもたちの輝ける未来へと繋がっていけば大変ありがたいことです。

若い世代を支えたいという意識は私も強く持っているつもりですが、今日こうして、現場からの声を直接お聞きし、そこはしっかりと受け止めて、さらに進めていかなければならないと意を強くしました。

河端

本日は貴重なお話を本当にありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。

(対談日:2022年12月22日)

菅、河端 河端

菅 義偉(すが よしひで)

1948年12月6日秋田県生まれ。高校卒業後上京。1973年法政大学法学部卒業。衆議院議員秘書、横浜市議2期を経て、1996年衆議院議員選挙で初当選(以後8期連続小選挙区当選)。2006年9月、総務大臣に就任し、「ふるさと納税」を創設。その後、自民党選挙対策総局長、自民党組織運動本部長、自民党幹事長代行等を経て、2012年12月、第2次安倍内閣の内閣官房長官に就任。他に国家安全保障強化担当大臣や沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣を務める。2019年4月1日に新元号「令和」を発表。2020年9月、第26代自由民主党総裁、第99代内閣総理大臣に就任。

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広報誌 学Vol.22 対談記事

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広報誌 学Vol.19 対談記事

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広報誌 学Vol.17 対談記事

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