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小中学部
1.17 日刊ena塩浜 -一般人の肩②-
投稿日: 2025.01.17 9:44 pm
こんにちは、野球部時代肩の弱かったena塩浜の青木です。
1月17日、金曜日。
久しぶりのena塩浜の新戦力、かわもと先生。
自身もenaの卒業生で、都立中高卒業生です。
自分の校舎だったわけではないので、さすがに覚えていないのですが、
特訓などで私の授業を受けたこともあるとのこと。あちらが覚えていることにびっくりです。
自身の経験も活かした、生徒たちのためになる授業を展開してもらいます。
……写真を撮りそびれました……。次回の授業時をお楽しみに!
明日は小4合判。ena史上でも明日が初の小4の大型模試です。
ena塩浜にとっては初めての通常クラスの子とSSの子が同一の模試、
大変楽しみです。
以下、昨日の続きです。
人間は社会的動物ですから、他者との心情や経験の重複を確認するだけで、
そこに喜びや正の感情を抱きます。
以前に読書論について書いたときにも同様の例を挙げた気がしますが、
お笑いのあるあるネタもその類ですし、お笑いでなく、通常のコミュニケーションにおいても、
共通項の把握は距離を縮める上でとても大きな役割を果たします。
美容院で担当の人と同じ旅行先に行ったことがある、で話が盛り上がったり、とか。
未知のものを知ることで、たとえそれが自身に役に立たないことであっても喜びを感じうる、というのも人間の性質ですから、
その観点で読書を行う、というのももちろん多々あることでしょうが、
こと、娯楽の観点で読書をする場合、むしろ、既知のものに対しての方が食指が伸びやすい、という人は少なくないと思います。
たとえば自分のやっているスポーツや楽器を題材とした作品、自分の勤めている業種・業界を題材とした作品、
あるいは、より広く解釈をするのであれば、主人公が自身と同世代であること、
そういう観点で作品選びをする人は、多い、というよりも、むしろ主流派である気がします。
そういう作品に触れる中で、その界隈独自の描写に対して「分かる!」という快感は、たとえばミステリー作品の種明かしなどのカタルシスと比べれば弱いものかもしれませんが、それでも経験したことがある人は多いと思います。
世の読書好きの人が、一定数その「既知」に触れることで得られる喜びでそれを行っているのだとすれば、
「未知」に触れることだけを過剰に推して読書を勧めるのは、合理性に欠けるな、と思いました。
書、という形態に限らず、映画でも漫画でも同じことが言えるかもしれませんが、
普段それらに触れていない野球好きの子には、サッカーを題材とする作品よりも野球を題材とする作品の方が間違いなくとっつきやすいものであると思います。
昨日扱った教材は、犬が亡くなるシーンでしたが、亡くなる前の犬に感謝を述べているシーンは、
教材だから、断片的にそこが切り取られているだけにも関わらず、不覚にもかつての飼い犬を想起して、涙が出てきそうで大変でした。
作品と重ね合わせて、既知の体験、感情を想起して、色あせかけたそれらが鮮やかになる。
とても素晴らしい読書体験だと思います。
ただ、それこそ昨日の授業時のように、その素晴らしさをより広く、深く味わおうとすると、
相応の自己の内部の材料が必要となります。
そうか、そうすると結局、「書を捨てよ、街へ出よう」となってしまうから、
読書論の中では数が目立たない意見となってしまうのかもしれませんね。
◆今日の一問:メディアが発達していくにも関わらず、文字情報のみのメディアが淘汰されないのはなぜか。
ena塩浜 青木
↓enaオープン、現在塾に通っていない方も想定したテストです。入塾、中学受験をどうするかまだお考え中の方もぜひ。
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