お問い合わせ先 ena教務部
0120-06-1711※受付時間 日曜・祝日除く 10:00~18:00
小中学部
12.13 日刊ena塩浜 -子どもの評価、大人の評価-
投稿日: 2024.12.14 4:34 pm
こんにちは、最近は檜の入浴剤、ena塩浜の青木です。
12月13日、金曜日。
冬の寒さが本腰を入れてきましたね。
今がこうだとすると、1月2月が怖い。
子どものころは、学習量は宿題であったり、食事などの生活面は家族であったり、
他律の中で物事をこなしていきます。
それが少しずつ自律に移行していくことが大人になることで、
だからこそ、多くの学校が、自律やその類語を、指導方針やスローガンの中で掲げます。
これと反比例するように、評価の基準は、中から外へと移行していくな、と近頃思います。
子どものときは、各分野ごとにそれぞれの持っている能力が異なりますから、
例えばテストで100点満点中、50点しか取れなかったとしても、
その子が普段は20点30点しか取れなかったのであれば、
それは良い結果ですし、自身で喜びを感じられる。人から褒められることもあるかもしれない。
これが、大人になると、結果が出ているかどうかで評価がされるので、
100点満点であれば、50点しか取れていないのであれば、それは評価に値しないし、改善しなければならない結果です。
基準を他者に置く状態への移行は、どの段階で行われるものなのでしょうか。
仮に中学受験をしたとした場合、そうでない子よりも、早い段階で数値の競争の世界に入ることにはなりますが、
これは程度の問題であって、いずれにしろ、とれる点数がその子にとってどうなのか、という尺度で測られることには違いありません。
では、社会に出てから急にそういう価値基準に放り込まれるのかというと、それも自分の記憶の限りではそんなことはないな、と思いました。
「自分なりには頑張っている」ことに対しての価値のなさを、その前に経験した記憶があったからです。
じゃあその記憶の原初はどこなのかな、と追憶してみると、
原、かは分かりませんが、かなり初期に近いであろうものとしてたどり着いたのが、中学校の時の部活のことでした。
部活のレギュラー争いに関しては、「以前よりも上達した」とか、「自分にとってできる限り練習をした」ところで、
自分基準のそれらには何の価値もなく、全体の中で上から順に、上手いものから選ばれる。当然学年だって無関係。
受験のようにレベルに応じた選択肢があるわけでもなく、純粋にメンバーの中で相対的な立ち位置で決められる。
そういった場面で、少しずつ他者基準の世界に触れていって、人は世の中に出ていくのだと思います。
一たび社会に出てからは、否応なくその尺度で生きていくしかないわけで、
そうすると、子ども時代の自分基準の尺度で生きているうちには何を身につけるべきなのか。
尺度でどちらを用いるにしろ、いずれにしろ、目標とするラインに向けて自己の努力をすることに変わりはないわけで、
突き詰めると、頑張り方を学ぶことが子ども時代の最も重要なミッションな気がします。
「努力できるのも才能」とか言い出すようにならないように。
◆今日の一問:自律と自立の違いは?
ena塩浜 青木
SUPPORT