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12.12 日刊ena塩浜 -自由と勉強-
投稿日: 2024.12.12 9:36 pm
こんにちは、冷え性のena塩浜の青木です。
12月12日、木曜日。
昨日11日は、学判デイだったため、私は休日出勤の振り替えでお休みをいただきました。
で、健康診断に行ってきました。
身長が8mm縮んでいました。
それから、体重は変わっていないのに、体脂肪率が増えていました。
恐ろしい。食べても太らないの魔法さすがにがそろそろ消えるのでしょうか。
今日の国語の授業で扱った文章は、
勉強をする理由は、自由になるためだ、というもの。
自由とは選択肢の多さで、その選択肢を確保するためには、知恵と知識が必要だ、だから人は学ぶ、という内容。
内容そのものに異論はないですが、
思ったことは、自由に対しての志向性のこと。
子どもたちに聞いても、恐らく、自由と束縛されているのではどちらが良いか、と尋ねれば、
自由を選ぶのが普通だと思います。
基本的人権の中でも自由権が最も早く認知され、保証されていったのと同様に、
自由を求めるのは人間にとって根源的な欲求なのだと思います。
ただ、たとえば次のような例。
共産主義国家で、一切に選択肢がない人生を歩んでいた人が、亡命して資本主義の国に行ったときには、
むしろ、そのいちいちを自分で決めなければならないことに大変なストレスを感じるそうです。
あるいは、卑近な例として、最近のテレビゲームは技術の進歩により、昔のものよりもはるかに自由度が高くなっていますが、
なんでもできる、何をしてもよい、となると、かえって何をしてよいのか分からず、楽しめない、という人も多いようです。
自由は人にとって、絶対的な価値なわけではなく、
ものによっては、選択肢がないことを望むこともあるのではないか、と思うのです。
特に日本人は付和雷同なところが国民性の一つですから、
その傾向は強めなのではないでしょうか。
学習を自由にすると、必要十分に量をこなせる子はそれほど多くありません。
何せ、自由ということは、勉強をしない自由も持っていますから。
そこで、こちらが強制的に行わせるために、宿題を課す。
私が今までに面倒を見させてもらった子たちの中で、一位二位を争う賢かった子、
難関私立2校と国立の合格を手にしたうえで、そこが一番楽しそうだったから、と慶應の高校を選んでいった子ですが、
その子は中1のころから、例えば一週間分を計算に入れた重めの宿題を課しても、翌日や翌々日にドカっと消化してしまう子で、
曰く、やらなければならないものを抱えた状態でいるのがいやだから、ということでした。
自由を求めて、課された義務をこなす、という彼の姿勢は、ある意味とても理想的なものだったと思います。
自由を求める、という能動的な意思に基づく学習になっていて、
義務に追われる受動的な学習でなかったからです。
でも、自由を望むのであれば、塾がない方が良いのでは。
そこで敢えて拘束される道を選択することが、先々の自由につながることを知っていたのでしょう。
この、自由意志の下に、自分の意思だけでは選択できない未来のための制限を選ぶことができること、
そこに人間らしさ、人を人たらしめるものというものを強く感じます。
欲求のままに自由に行動できるだけでは、野生動物と変わりません。
自律の難しい子どもであればいざ知らず、
中高生にもなって宿題をやれない、とか、
対価を頂いているにも関わらず、責任を果たせない社会人だとかは、
望んでも自由を与えられないのは、
それはそうでしょう、ということになると思います。
そんなことにならないように、
やはり子どもたちには勉強を頑張ってもらいたいです。
未来の自由に向けて。
◆今日の一問:「界」は漢字の成り立ち(六書)でいう何文字に当たるか。
ena塩浜 青木
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