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ena塩浜

小中学部

10.31 日刊ena塩浜 -いつか-

投稿日: 2024.10.31 9:40 pm

こんにちは、カボチャはそこまで好きではないena塩浜の青木です。

 

10月31日、木曜日。

ハロウィンの日。

 

なんでもないど平日ですから、当たり前っちゃ当たり前でしょうが、

本社へ出勤するときにも、校舎へ移動するときにも、

仮装している人は視界に入ってきませんでした。

 

平常通りに仕事をして、

平常通りに授業にくる生徒たちと、自習にくる生徒たち。

小学生の授業が始まるよりも早い時間から来ている中3生たちが、

今この瞬間も黙々と勉強をしています。

 

 

私が子どものころは、ハロウィンははるか遠くの国のイベントでしたが、

いつのまにやら仮装という本質でない部分だけ取り入れられて、

コロナを契機にか、また存在感が薄くなってきている気がします。

元々は、日本のお盆のような、先祖の魂が帰ってくる日、というのがメインのイベントのようですね。

 

ちょうど最近読んでいる小説に、「死者のために毎日決まった時間、鐘を鳴らし続ける村」というのが出てきました。

過去に捕らわれた暗い集落、のように登場人物に受け取られていました。

 

でも、同じく小説のような物語の世界でも、あるいは現実世界でも、

「人が本当に死ぬのは、だれからも忘れられたとき」という言い回しがありますよね。

存在が認められなければ死んでいるのも一緒、ということではなくて、

誰かの中で生き続けているうちは、(生物学上はともかく)本当の意味での死ではない、あるいは、生きているのと同様の価値がある、

といったニュアンスで用いられることが多いと思います。

某有名海賊漫画でも出てきましたし、その作品に出てきた時点ですでに私はその価値観を何かで見聞きしたことがあったので、

結構昔からある言い回しだと思います。

 

で、その価値観に基づけば、上記の村も決して暗いものではないですし、

ハロウィンも、形骸的にとらえて騒ぐのはともかく、現地のほうで子どもたちが仮装してお菓子をもらって回るような明るさも、

さほど違和感を覚えないで見られます。

 

enaに就職して多少は年数が経ち、

中には、お世話になった先輩の中で、すでに亡くなられた方もいらっしゃいます。

その方に教わった教え方を授業の中で扱うたびに、その方のおだやかな口調を思い出します。

 

◆今日の一問:ハロウィンによく見るカボチャの名前は?

 

ena塩浜 青木

 

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