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小中学部
10.23 日刊ena塩浜 -ウチの子が本を読みません-
投稿日: 2024.10.23 10:24 pm
こんにちは、ロシア文学が苦手なena塩浜の青木です。
10月23日、水曜日。
人物を描くことが主眼の文学作品の場合、
その人物像のリアリティが書き手の伝えたいことであり、
同時に読み手にとって読んでいて最も面白い部分のため、
対象が思春期の人間を想定している文章でも、その描写が緻密であればあるほど、
その本当の楽しさは、そこを越えた人間でないと伝わらないのではないかな、と、最近よく思います。
読解問題としての、
「このときの主人公はこんな気持ち。なぜなら、こういう性格の人物で、過去にこういう経験をしている背景があって……」
という読み方ができたとしても、
最終的な人物像だったり、場面場面の心情だったりは、
現実の世界を生きている中で、出会った人物と、そういった彼らだったり自分だったりの心の動きをデータとして持っていないと、
絵に描いた餅のようにしか、受け止められないと思うからです。
子どもたちの教育に携わるとある方が
「今いまその子が解くべき難度の問題に出会わせてあげれば、子どもたちは集中力を途切れさせることはない。
ちょうどラジオの周波数を合わせるように、適切な問題に出会わせてあげることが重要。」
という意味合いのことをおっしゃっていたことがありました。
一教育者として、とても好きな言葉の一つです。
それと先ほどのことを照らし合わせて考えると、
本を読むことがあまり好きでない子どもたちの場合、
その文章本来の楽しさを読み取る段階と、今いまの読解力がマッチしていない本にしか巡り合ってない、
というケースも多いのだろうな、と思いました。
段階がかみ合ってみて、やっとその文章の正当な価値が理解できて、
その上で内容的に楽しいと思えるかどうかの相性がありますから、
「ウチの子はなかなか本を読まなくて」という状態を打破するのは、それは容易ではありません。
「両親がまず読まないと」などとよく言ったりしますが、それでも子どもは読まない、もザラにある話です。
何せ、そこの嗜好は親子でそこまで重ならないからです。
だいぶ前の若いころに、私が最も信頼している数学の先生と指導方法などについて話をしていたときに、
「こういう風に教えたほうが数学を好きなってくれるから」とさらっと仰っていて、
そこで「出来るようになるから」とか「点数を取れるようになるから」でないところが強烈にかっこいいと思ったのですが、
「国語を好きになるように」教えることはまだまだできていないので、自分の未熟さを思い知っている今日この頃です。
◆今日の一問:むしという言葉にふくまれる生物の範囲はどこまでか。
ena塩浜 青木
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