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小中学部

9.11 日刊ena塩浜 -物語を読んで面白さを感じる根源-

投稿日: 2024.09.11 10:33 pm

こんにちは、ena塩浜の青木です。今年は桃を食べられたから幸せ。

 

9月11日、水曜日。

 

本日扱った国語の文章のお話。

わたしたちは「個人が世界について見出した数多くの法則性から構成された体系」をそれぞれ持ちながら生きている、とのこと。

そして、「世界観」や「人生観」と呼ばれるそれらと重ね合わせながら文章を読み、それが先の展開の「予測」となる。

 

その文章の主旨は上記そのものとはずれているのですが、

国語を教えるもの=文章の読み方を教えるものの端くれとして、

上記の事実にこの歳になるまで触れることができなかったことが大変悔しいです。

今回の文章でこれに触れて、まさに!と、衝撃でした。

 

例えば、文章の中で「悪いことをするもの」が悪いことをしているシーンが描かれているときに、

その後の描写で「悪いことをするもの」に罰が当たる展開を予想する、

その予想は、「悪いことをすると天罰が下る」という価値観に基づいている、という感じ。

 

「個人が世界について見出した数多くの法則性から構成された体系」は、

経験の蓄積の中に存在するもの。

学生時代の友人と久しぶりに遊ぶ機会なんかがあると、

当時には存在しなかったそういった人としての厚みの部分の話をするときがとても楽しいです。

上記の文章では、フィクションとの触れ合いでも、

その折り重なりこそが楽しさの根源として述べています。

 

仕事をしている中でも、一緒に仕事をしていて尊敬の念を覚えるのは

「個人が世界について見出した数多くの法則性から構成された体系」の量の多い人たち。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言いますが、苦労の多さは、そのまま見出す法則性の多さへ直結すると思います(苦労からしか法則性を掴めない、という意味ではなく)。

反対に、年齢相応に積み重ねてきているものがない場合には、持っている法則性の少なさを感じさせられます。

 

法則性を多く持てているほど、世に存在するフィクションをより深く楽しめる、ということにつながるため、

人生をより楽しめる一因として、多種多様な経験がある。

ただ、もちろん思考を伴わない体験は、機械的な作業となるため、そこには蓄積がありません。

翻って、考えられれば考えられるほど、一つ一つの体験からの蓄積は多くなりますから、

つまるところ、頭をつかえればつかえるだけ、人生は楽しくなる。

人生がより楽しくなるようにするためにも、勉強を頑張ろう。

と、こんな理屈をごちゃごちゃ言われたところで子どもたちのやる気に火はつかない、

というのが私が持っている「個人が世界について見出した数多くの法則性から構成された体系」の一つです。

 

定期テストは今日明日がピーク。頑張れ中学生。

 

◆今日の一問:ストーリーにおいて描かれる大きな展開の変化が、見る者の感情において感情的な抑圧からの解放を引き起こし、快感を感じることを何というか。

 

ena塩浜 青木

 

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